スピッツファンサイト 鳥になっちゃう部屋

スピッツ 創作テキスト

青い車

僕は死んだことがなかった。
だから、死の痛みなんて解かるはずもなかった。
生きることは恐くなかった。
死ぬことも恐くなかった。

何もかもが嫌になり始めたのは、ちょうど君と出会った、夏のはじめのことだった。
君はいつも笑っていて、優しくて、頭も良くて、面白くて、かわいくて、幸せそうだった。
僕も幸せだったさ。
最初はね。
でも、そのうち急に恐くなったんだ。
幸せにも寿命があることを、無意識のうちに感じとっていた。
君の人生の中では、僕が初めての恋人なんだと、君は言っていた。
僕は違った。
僕にとって君は、もう何度目の「君」になることだろう。
確かに君は、今までの「君」とはどこか違っていた。
君のおかげで煙草もやめたし、いろんなことを改めるようになった。
そんな力を、君は持っていた。
でも、二人はいつでも二人だった。
決してひとつにはなれなかった。
僕は歯がゆかった。

昔、何度か死んでみようと試みたことがあった。
身も心もボロボロになって、もうどうしようもなくなっていた。
まだ高校生だった。
そんな時、君じゃない「君」が現れて、僕はかろうじて、僕であり続けることができた。
世界が違って見えた。
すべてのものが、青く、輝いて見えるんだ。
僕は幸せだった。
でもその「君」はやがて、僕の元から去って行った。
愛は生き物だと、彼女は言った。
僕はまた一人になった。
それからまた何度か、同じような「君」が現れては消え、僕は心底嫌になった。
永遠に続くような掟。
幸せは途切れながらも続くことを、僕は知らなかった。
そんな時、君と出会った。
出会ってしまった。
はっきり言って僕は、最初一歩引いていた。
出会いがあるからには、必ず別れがある。
その思いが、僕にまとわりついて離れなかった。
でも君は違った。
今までにない個性で、僕を僕たらしめた。
僕は初めて夢中になった。
たとえひとつになれなくても、二人は本当に幸せだった。
こういう歯がゆさもたまにはいいと思った。
君は大人だった。

でも、これは僕のサガなのだろうか。
不安は尽きることなく訪れる。
僕はいつしか、君に別れ話を持ちだそうと考え始めていた。
今までの僕は、「君」が先に離れていくばかりだった。
でも、僕から離れては君が悲しむだけ。
「そうだ。このまま時を止めてしまえばいい。」
そんな思いが、やがて僕を支配するようになっていた。
君のことを嫌いになったわけじゃない。
でも、とにかく僕は、これ以上幸せになりたくなかったんだ。

夜明け前、僕は君をドライブに誘い出した。
買ったばかりの、青い車。
僕は青が嫌いだった。
でも君は青が好きだった。
深い青は海の色。
生命の生まれた場所の色だと言う。
「ドライブするなら、こういう車がいい。」
君はずっと前からそう言っていた。
二人座ればいっぱいになってしまうような、小さな車。
君のために買った車。
だからこれは、君の車だ。
君の家の前まで乗り付けた僕は、支度の遅い君の部屋へ迎えに入った。
笑いながら君は何か言って、鏡台の前で髪を梳き始めた。
何も知らない、幸せそうな横顔。
君の後ろに僕が立つと、鏡の中の僕に向かって、君は微笑んだ。
「梳いてもしょうがないのに。」
「え?」
…それが、君の最期の言葉だった。
コトッ。
君の青い櫛が、小さく音を立てて床に落ちた。
僕は力いっぱい君の首を絞めると、鏡に映ったその光景に見とれた。
もだえる君の爪が、少しだけ、僕に食い込んでいた。
とうとう、やってしまった…。
だらんと崩れた君は無言で、まるで眠っているように見えた。
その美しい唇に思わずキスしようとして、ハッと窓の外に目をやる。
ぐずぐずしていられない。
僕は、持ってきていた新しいシャツに着替えた。
君とお揃いの、淡い緑のシャツ。
そして僕の膝で動かなくなった君にも、同じシャツを着させる。
僕はペアルックが嫌いだった。
でも、最後くらいは、君と同じでありたい。
僕は、急に重たくなった君を担ぐと、何事も無かったように車に乗り込んだ。
助手席で眠る君は、今にも「おはよう」と言って起き上がりそうだ。
街は白みつつあった。
街路樹が、何も知らずに揺れていた。
ああ、早くしなければ、太陽が昇ってしまう。
僕は君を乗せて、埃まみれの道を南へと急いだ。

キッ。
海が一望できる、小高い丘の上。
エンジンを切った海色の車の中で、二人は無言だった。
幸い、日の出までにはまだ時間がある。
僕は改めて、自分があやめた恋人を見つめた。
髪、首、腕、太股…。
君のそのすべてにキスをし、冷たい頬にそっと触れてみる。
窓から、心地よい潮風が流れ込んでは出て行く。
君のおかげでやめることが出来た煙草を、僕は最後に吸うことにした。
ちゃちなライターの光に照らし出された君は、今までで一番美しく見えた。
僕があげた銀のペンダントも、胸元で美しく光っていた。
もう少し、このままで居たかった。
けれど。
もうすぐ、その時が来る。
君の瞳に、僕の涙がポタリと落ちた。
今ならひとつになれるかもしれない、と思った。
でも、愛は二人で作るべきものだった。
僕は冷静に、はずし始めたボタンをかけ直すと、柔らかさを失った唇に唇を押し当てた。
さようなら、君。
さようなら、僕。
さようなら、すべて。
そして、エンジンをかけた。
…もう何も恐れるものはない。
落書きのように入り交じる気持ちを振り切るように、僕はアクセルをベッタリ踏んだ。
変わらぬ時の流れからはみ出すために。
キキーッ! バリッ!!
ゴム臭い煙の中で、ものすごい音が聞こえた。
やがて二人の世界はふわっと浮き上がり、一瞬、何も聞こえなくなった。
ふと隣を見ると、君が微笑みかけたような気がした。
「ずっと一緒に居ようね。」
「ああ。」
そうだ、これでいいんだ…。
生まれたての太陽が、二人の昇華を祝福しているかのようだった。
すべてが青く、輝いていた。
二人はやがて空になり、海になった。
固く固く、両手を握りあったまま………。

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